2016年 02月 16日
父との別れに想うこと
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今日は おじいちゃんのお通夜なんだよ。
大切なダイスキな父のこと
お話させてくださいね(^-^*)
長くなるので2日にわけて書かせていただきます♪
まずは…父の旅立ちの報告を見てくださった方々の
温かいお言葉に いっぱい感謝です!
父と私は性格も骨格も似てます(^-^*)
そっくりね♪って言われること多いです(^-^*)
父のことを書くと「仲の良い親子」と想われると想いますが
一緒に出掛けたりなどは 殆どありません( ̄∀ ̄*)
一般的に仲の良い親子って感じではないんです。
父は表面的には九州男児らしく
亭主関白で頑固で威厳があって
真面目な父でした。
冗談なんて言ったことないくらいで
遊んで貰った記憶は ほぼ無いです( ̄∀ ̄*)
決まった時間に仕事に行き
決まった時間に帰宅して
家族を護るためだけに働いていたような感じです。
でもでも内面的にはとっても優しい想いが溢れていて
いつでも家族を細かく気遣い
自分は しんどくても家族のために動き続けて…
愛情が深過ぎて 心配し過ぎて
怒ってしまうところもあって( ̄∀ ̄*)
器用で色んな物を作れて(庭の大きな池も父が作ったりΣ( ̄□ ̄;)
何が故障しても治せて
お料理も上手で 何を作っても素晴らしく美味しくて
お掃除も丁寧で誰よりもピカピカに出来て
経済のこと歴史のことを聞いても
たくさんたくさん知っていて
本当に何でも出来て尊敬出来る
素晴らしい父でした(^-^*)
母のことが ずっとずっとダイスキで大切で…
定年してから家事をセッセッとするのも
「お母さんが大変だから」
「お母さんが可哀想だから」って。
自分の腰が痛くても 食材などを買い出しに行って
「荷物が重たいとお母さんが可哀想だから」って。
一途に母のことを想い続けて
家事をすることで母の負担を減らしたりと
父なりに母への想いを形にし続けて(^-^*)
人でも こんなに一途に想い続けることが出来るんだ。
って想うくらいでした(^-^*)
私は父も母もダイスキなので
えっこはもちろん
父と母と別れる日が来るのは
とても怖くて受け入れられないなぁ…って。
悲しみに押し潰されるんじゃないかな…って。
台所に立ってお料理をしている姿
お庭の木々を丁寧にお手入れしている姿
動物達のお世話も丁寧にしている姿
そして家族が集まっている時の嬉しそうな顔を
ずっとずっと見ていたいと想っていました。
そんなダイスキな父の異変に気付いたのは6年前。
父のエネルギーフィールドの弱りを感じて
色んなサポートのお話をしてきたけれど
お医者様が一番の父だったので受け入れて貰えませんでした(TmT)
家族にも「お父さんの顔の白さ 普通じゃないよ」って
一応 目に見える部分を例にあげてみたのですが…
普通に動いているように見える父に
そこまでの変化を感じられず
これといった対応をしていませんでした。
父の息苦しさは徐々に増していって…
病院で色々調べても理由がわからず。
血中酸素濃度はちゃんとしてるからと
徹底的に呼吸器を調べてはなかったのだろうな。って。
父のカラダから色んなサインが出ていて…
色んな臓器さんが頑張っているサインが出ていて…
2年前からは父のカラダが戻れるレベルじゃないのを感じました。
このことに気付いていたのは
感性の強い姪っ子と私だけ。
息苦しさでゴハンの時以外は殆ど動けない父。
「あれを取ってくれ」とか
「これをしてくれ」とか言うことが増えて。
ワガママになったと想っていた家族に
「お父さんは我が侭を言っているのではなくて
本当に苦しくて動けないんだ」って
「いつも家族の為に動いてくれてるでしょ?
すごくキレイ好きで完璧主義で自分でやらなきゃ気が済まない人だから
カラダが動くなら自分でちゃんとするんだよ。」って
伝え続けてきたけど
肺を患ったことのない人たちには
なかなか理解出来なくてね。
私自身 先代エフィをお空に還した年に
物凄い息苦しさとカラダ中の不具合に襲われた。
ご縁があった代替療法の病院で
肺癌の前ガン段階で見つけてもらって
代替療法で治療をしてもらっている。
だから肺を患っている時の苦しさ・しんどさは痛いくらい知っている。
人とお話しをして数分で息苦しくてアタマがくらくらしたり
浅くしか呼吸が出来ないからカラダがいつも酸欠で
手足が重くてチカラが入らなかったりね。
肺の機能が戻れるレベルじゃない所まで来た父に
出来る限り心地良く過ごせるよう
父が笑って過ごせるよう
実家に毎日のように寄ってお話をしたりして(^-^*)
ダイスキなお刺し身やお寿司を出来る限り
持って行って♪
それでも家族を一番に想う父は
自分の好きなものを食べるのではなくて
「お母さんはマグロが好きだからな」って
「Yちゃん(甥っ子)はブリが好きだからな」って言って
残りそうなものを食べていたんだよね。
本当に細かく家族を見ていて
いつでも気遣ってくれていて
私には愛情が「これでもか」っていうくらい溢れているように感じて(^-^*)
半年前からはゴハンを食べることも出来ない時が多くなって
かなりキツイ感覚を受けました。
意識のある時は
家族が心配で家族とずっと一緒いたくて
生きるために頑張ろうとする父。
ただ無意識のレベルではお空に還る準備が始まってました。
この時期から
私は父と出来る限りココロを寄せて過ごすようにして
闘病の末期へと向かっていきました。
この半年間 えっこにもいっぱい頑張って貰って
父との温かい時間を過ごすことが出来ました。
小康状態で過ごしていた父でしたが…
1月の終わりに緊急入院することに。。。
※明日に続きます。 長文 お読み頂いた方 有り難うございます(^-^*)
大切なダイスキな父のこと
お話させてくださいね(^-^*)
長くなるので2日にわけて書かせていただきます♪
まずは…父の旅立ちの報告を見てくださった方々の
温かいお言葉に いっぱい感謝です!
父と私は性格も骨格も似てます(^-^*)
そっくりね♪って言われること多いです(^-^*)
父のことを書くと「仲の良い親子」と想われると想いますが
一緒に出掛けたりなどは 殆どありません( ̄∀ ̄*)
一般的に仲の良い親子って感じではないんです。
父は表面的には九州男児らしく
亭主関白で頑固で威厳があって
真面目な父でした。
冗談なんて言ったことないくらいで
遊んで貰った記憶は ほぼ無いです( ̄∀ ̄*)
決まった時間に仕事に行き
決まった時間に帰宅して
家族を護るためだけに働いていたような感じです。
でもでも内面的にはとっても優しい想いが溢れていて
いつでも家族を細かく気遣い
自分は しんどくても家族のために動き続けて…
愛情が深過ぎて 心配し過ぎて
怒ってしまうところもあって( ̄∀ ̄*)
器用で色んな物を作れて(庭の大きな池も父が作ったりΣ( ̄□ ̄;)
何が故障しても治せて
お料理も上手で 何を作っても素晴らしく美味しくて
お掃除も丁寧で誰よりもピカピカに出来て
経済のこと歴史のことを聞いても
たくさんたくさん知っていて
本当に何でも出来て尊敬出来る
素晴らしい父でした(^-^*)
母のことが ずっとずっとダイスキで大切で…
定年してから家事をセッセッとするのも
「お母さんが大変だから」
「お母さんが可哀想だから」って。
自分の腰が痛くても 食材などを買い出しに行って
「荷物が重たいとお母さんが可哀想だから」って。
一途に母のことを想い続けて
家事をすることで母の負担を減らしたりと
父なりに母への想いを形にし続けて(^-^*)
人でも こんなに一途に想い続けることが出来るんだ。
って想うくらいでした(^-^*)
私は父も母もダイスキなので
えっこはもちろん
父と母と別れる日が来るのは
とても怖くて受け入れられないなぁ…って。
悲しみに押し潰されるんじゃないかな…って。
台所に立ってお料理をしている姿
お庭の木々を丁寧にお手入れしている姿
動物達のお世話も丁寧にしている姿
そして家族が集まっている時の嬉しそうな顔を
ずっとずっと見ていたいと想っていました。
そんなダイスキな父の異変に気付いたのは6年前。
父のエネルギーフィールドの弱りを感じて
色んなサポートのお話をしてきたけれど
お医者様が一番の父だったので受け入れて貰えませんでした(TmT)
家族にも「お父さんの顔の白さ 普通じゃないよ」って
一応 目に見える部分を例にあげてみたのですが…
普通に動いているように見える父に
そこまでの変化を感じられず
これといった対応をしていませんでした。
父の息苦しさは徐々に増していって…
病院で色々調べても理由がわからず。
血中酸素濃度はちゃんとしてるからと
徹底的に呼吸器を調べてはなかったのだろうな。って。
父のカラダから色んなサインが出ていて…
色んな臓器さんが頑張っているサインが出ていて…
2年前からは父のカラダが戻れるレベルじゃないのを感じました。
このことに気付いていたのは
感性の強い姪っ子と私だけ。
息苦しさでゴハンの時以外は殆ど動けない父。
「あれを取ってくれ」とか
「これをしてくれ」とか言うことが増えて。
ワガママになったと想っていた家族に
「お父さんは我が侭を言っているのではなくて
本当に苦しくて動けないんだ」って
「いつも家族の為に動いてくれてるでしょ?
すごくキレイ好きで完璧主義で自分でやらなきゃ気が済まない人だから
カラダが動くなら自分でちゃんとするんだよ。」って
伝え続けてきたけど
肺を患ったことのない人たちには
なかなか理解出来なくてね。
私自身 先代エフィをお空に還した年に
物凄い息苦しさとカラダ中の不具合に襲われた。
ご縁があった代替療法の病院で
肺癌の前ガン段階で見つけてもらって
代替療法で治療をしてもらっている。
だから肺を患っている時の苦しさ・しんどさは痛いくらい知っている。
人とお話しをして数分で息苦しくてアタマがくらくらしたり
浅くしか呼吸が出来ないからカラダがいつも酸欠で
手足が重くてチカラが入らなかったりね。
肺の機能が戻れるレベルじゃない所まで来た父に
出来る限り心地良く過ごせるよう
父が笑って過ごせるよう
実家に毎日のように寄ってお話をしたりして(^-^*)
ダイスキなお刺し身やお寿司を出来る限り
持って行って♪
それでも家族を一番に想う父は
自分の好きなものを食べるのではなくて
「お母さんはマグロが好きだからな」って
「Yちゃん(甥っ子)はブリが好きだからな」って言って
残りそうなものを食べていたんだよね。
本当に細かく家族を見ていて
いつでも気遣ってくれていて
私には愛情が「これでもか」っていうくらい溢れているように感じて(^-^*)
半年前からはゴハンを食べることも出来ない時が多くなって
かなりキツイ感覚を受けました。
意識のある時は
家族が心配で家族とずっと一緒いたくて
生きるために頑張ろうとする父。
ただ無意識のレベルではお空に還る準備が始まってました。
この時期から
私は父と出来る限りココロを寄せて過ごすようにして
闘病の末期へと向かっていきました。
この半年間 えっこにもいっぱい頑張って貰って
父との温かい時間を過ごすことが出来ました。
小康状態で過ごしていた父でしたが…
1月の終わりに緊急入院することに。。。
※明日に続きます。 長文 お読み頂いた方 有り難うございます(^-^*)
by nikoniko-herb
| 2016-02-16 20:05
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