2016年 08月 05日
母の旅立ちに想うこと
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緑さんキラキラでキレイなんだよ♪
母がどれだけの愛情を持って
私たちとの時間を過ごしてくれたか
少しお話させてくださいね。
母の闘病が始まったのは今年の3月。
父が2月に他界して葬儀などを終えて一息ついた時でした。
父は闘病中の2年くらいの間
身の回りのことは母以外の人には頼まず
母だけを頼りにしていました。
今まで家族の為だけに頑張ってきた父のために
母は自分のことに時間をかける余裕なく過ごしていました。
父が他界してから久しぶりに受診した時の血液検査で
肝臓さんの数値が異常だったことからエコー。
この時 巨大な癌の可能性を指摘され数日後にCT。
結果 西洋医学ではお手上げ状態の肝臓ガンの末期でした。
右側に10センチ、左側に小さな癌が沢山あり
肝臓さんの7〜8割が癌という状態。
母に選択肢を伝えて選んでもらったところ
西洋医学での積極的な治療はせず代替療法の漢方を中心に治療することに。
リスクの大きな西洋医学でも治るのではなく、
大きさを維持出来れば御の字とのこと
唯一の治療法の肝動脈塞栓法も
年齢を考えるとリスクが高い治療だったので。
「お金がかかるとか誰に迷惑とかは考えなくて善いよ。お母さんはどうしたい?」
って母に聞くと
母は「治りたい」って言いました。
私はその母の言葉に応えたい!って想いました。
父を見送って、母が自分の時間を少しでも多く楽しめるように
そして私も母に何かお返し出来る時間を持てるようにと。
東洋医学で原因を探して、その原因を除去するための治療。
そして私が出来る代替療法も使って自宅で数種類始めました。
癌も勢いがある状態だったので、力比べのような感覚でした。
もともと体力も気力もある母だったので
善い状態をキープ出来ていたのですが
6月に入ったくらいから体力の低下が見られるように。。。
6月の下旬には1週間全く食べられなくなり
緩和療法の病院で点滴を受けることに。
この時に病院の先生から告げられたのは「7月いっぱい持たない」 と。
血液検査での結果は肝臓さんが殆ど機能出来ていない状態の
「肝臓死」と言われました。
仕事柄 私は生理学をお勉強しているので
母の体がかなり厳しい状態を把握しました。
先生からのその言葉を母には伝えず
そして自分たちも母が善くなるよう
心地善い毎日を過ごせるよう
入院も無く自宅でサポートを続けました。
母は肝臓癌の特徴でもある吐き気で食べることが難しく
僅かなお粥くらいしか口に出来なくなりました。
肝臓さんの機能が低下するということは
食べた物の処理が出来なくなるということ。
肝臓さんは食べたものを蓄えて
必要な形に組み直して全身に送ってくれているから…
肝臓さんが機能していないということは
カラダの中に必要な栄養を送れなくなるということです。
食べたとしてもカラダに届かないんです。
母の状態は日に日に悪くなり筋力も低下して立つことは勿論
お水を飲むことなど、自力で出来ることが少なくなっていきました。
母のカラダに貯めていた筋肉・脂肪や水分を使っての生命維持活動でしたから。
それでも治りたくて頑張っていた母。
そんな母の頑張りを支える為
兄嫁と姉と私の3人でローテーションを組んで付きっきりでの闘病生活。
弱々しくなる母に
「お母さん 絶体治すからね 大丈夫だから」と言いながら
想わず涙が溢れた時
「由美江 お母さん 大丈夫だから!」って
手をギュッと握ってくれました。
自分がどんな状態であっても
私を想ってくれた母。
生きる為の全てのことは筋肉によって維持されているから
著しい筋力の低下は「喋ること」「飲むこと」「呼吸をすること」
も低下させていきます。
母の声はかすれて目を開けているのも少なくなって
最後は1週間以上何も食べず
旅立つ3日前からは命を繋いでいたお水を飲むことも難しく…。
それでも1ヶ月くらいの間 解毒のように排便し続けました。
1日に20回近くも 1時間おきに。。。
それは癌が治る時にような便でした。
母のカラダは闘い続けて
癌を溶かして追い出しているように感じました。
ただ…体力が持たなかった…。
もう少し早く 癌が溶け出て行くスイッチが入っていれば。。。
悔しくて母の傍を離れては
子供のように わんわん泣きました。
※続きはまた明日に。
お通夜の前にえっこをたくさん放電♪&ハグ♪
この子にどれだけイキルチカラを貰っているか。
感謝でいっぱいです。
有り難う 有り難う(^-^*)
えっこ ずっとずっと愛してますよ(^-^*)
母がどれだけの愛情を持って
私たちとの時間を過ごしてくれたか
少しお話させてくださいね。
母の闘病が始まったのは今年の3月。
父が2月に他界して葬儀などを終えて一息ついた時でした。
父は闘病中の2年くらいの間
身の回りのことは母以外の人には頼まず
母だけを頼りにしていました。
今まで家族の為だけに頑張ってきた父のために
母は自分のことに時間をかける余裕なく過ごしていました。
父が他界してから久しぶりに受診した時の血液検査で
肝臓さんの数値が異常だったことからエコー。
この時 巨大な癌の可能性を指摘され数日後にCT。
結果 西洋医学ではお手上げ状態の肝臓ガンの末期でした。
右側に10センチ、左側に小さな癌が沢山あり
肝臓さんの7〜8割が癌という状態。
母に選択肢を伝えて選んでもらったところ
西洋医学での積極的な治療はせず代替療法の漢方を中心に治療することに。
リスクの大きな西洋医学でも治るのではなく、
大きさを維持出来れば御の字とのこと
唯一の治療法の肝動脈塞栓法も
年齢を考えるとリスクが高い治療だったので。
「お金がかかるとか誰に迷惑とかは考えなくて善いよ。お母さんはどうしたい?」
って母に聞くと
母は「治りたい」って言いました。
私はその母の言葉に応えたい!って想いました。
父を見送って、母が自分の時間を少しでも多く楽しめるように
そして私も母に何かお返し出来る時間を持てるようにと。
東洋医学で原因を探して、その原因を除去するための治療。
そして私が出来る代替療法も使って自宅で数種類始めました。
癌も勢いがある状態だったので、力比べのような感覚でした。
もともと体力も気力もある母だったので
善い状態をキープ出来ていたのですが
6月に入ったくらいから体力の低下が見られるように。。。
6月の下旬には1週間全く食べられなくなり
緩和療法の病院で点滴を受けることに。
この時に病院の先生から告げられたのは「7月いっぱい持たない」 と。
血液検査での結果は肝臓さんが殆ど機能出来ていない状態の
「肝臓死」と言われました。
仕事柄 私は生理学をお勉強しているので
母の体がかなり厳しい状態を把握しました。
先生からのその言葉を母には伝えず
そして自分たちも母が善くなるよう
心地善い毎日を過ごせるよう
入院も無く自宅でサポートを続けました。
母は肝臓癌の特徴でもある吐き気で食べることが難しく
僅かなお粥くらいしか口に出来なくなりました。
肝臓さんの機能が低下するということは
食べた物の処理が出来なくなるということ。
肝臓さんは食べたものを蓄えて
必要な形に組み直して全身に送ってくれているから…
肝臓さんが機能していないということは
カラダの中に必要な栄養を送れなくなるということです。
食べたとしてもカラダに届かないんです。
母の状態は日に日に悪くなり筋力も低下して立つことは勿論
お水を飲むことなど、自力で出来ることが少なくなっていきました。
母のカラダに貯めていた筋肉・脂肪や水分を使っての生命維持活動でしたから。
それでも治りたくて頑張っていた母。
そんな母の頑張りを支える為
兄嫁と姉と私の3人でローテーションを組んで付きっきりでの闘病生活。
弱々しくなる母に
「お母さん 絶体治すからね 大丈夫だから」と言いながら
想わず涙が溢れた時
「由美江 お母さん 大丈夫だから!」って
手をギュッと握ってくれました。
自分がどんな状態であっても
私を想ってくれた母。
生きる為の全てのことは筋肉によって維持されているから
著しい筋力の低下は「喋ること」「飲むこと」「呼吸をすること」
も低下させていきます。
母の声はかすれて目を開けているのも少なくなって
最後は1週間以上何も食べず
旅立つ3日前からは命を繋いでいたお水を飲むことも難しく…。
それでも1ヶ月くらいの間 解毒のように排便し続けました。
1日に20回近くも 1時間おきに。。。
それは癌が治る時にような便でした。
母のカラダは闘い続けて
癌を溶かして追い出しているように感じました。
ただ…体力が持たなかった…。
もう少し早く 癌が溶け出て行くスイッチが入っていれば。。。
悔しくて母の傍を離れては
子供のように わんわん泣きました。
※続きはまた明日に。
お通夜の前にえっこをたくさん放電♪&ハグ♪
この子にどれだけイキルチカラを貰っているか。
感謝でいっぱいです。
有り難う 有り難う(^-^*)
えっこ ずっとずっと愛してますよ(^-^*)
by nikoniko-herb
| 2016-08-05 09:33
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